ということで
三回にわたりお届けした私の一方的な自己紹介終了です!
あ、ちなみに現在はビル管理会社に入社し受託している某大企業の受付として
毎日奮闘しています。
私が配属されたのは役員フロアの受付です。
航空業界経験者だから、というのが大まかな理由だそうです・・・
配属されうるポジションの中では一番責任のあるところなので
緊張する毎日ですが
日本を支える数々の企業のトップにお会いできることは
なかなかない経験でもあるので、できるだけ英気のおこぼれをもらえるよう
目を見開いて頑張っています!(笑)
急な現状紹介が入りましたが、ほんとにこれで完です!
これからのブログは何を綴ろうかなと思うのですが
今のところは
・自己啓発のために行っていること
・つらい時の自分回復法
・好きなものや本の紹介
・グランドスタッフのあれこれ
・受付嬢としての毎日
・資格取得に向けたお勉強の現状報告
などなどを予定しています。
まあ何かに特化はせず、ゆる~く話したいことを
そのまま発信していきたいなと思います!
(何かこれについて記事にしてほしい!等要望はあればご遠慮なく!)
まずは毎日ではなくても、継続することに重きを置いてやっていきますので
よろしくお願いします。
たまには写真とかも載せられたらいいなあ!
素敵なブログにしていこう。
新社会人時代
晴れて20歳で憧れの職に就いた私。
ぶっちゃけてしまうと、私は某航空会社のグランドスタッフでした。
まだまだ知らない方もいらっしゃるかと思うのでご説明しますと、
空港のチェックインカウンターやラウンジ、
搭乗口などにいるスタッフのことです。
そうです、髪をぴっちりまとめて首にスカーフを巻いているあのお仕事です。
小さい頃一人旅をサポートしていただいた経験をきっかけに
将来の夢として絶対叶えるべく、全力を尽くしてきました。
だからこそメディアでみた”あの入社式”や”あの制服”、英語を駆使しながら
空港中を駆け回る”あの姿”に、当時はときめきが止まらなかったものです。
覚えなくてはいけない大量の知識や部活動のような上下関係には苦戦しましたが
それでも初めのうちはやりがいを感じて毎日を過ごしておりました。
ちなみに配属先は希望通りの国際線です。
ですが、すぐにそんな気持ちは消えてなくなります。
初心を忘れないって本当に難しいことです。
昔から生活リズムが変則的になってしまうと、すぐに体調を崩すタイプだったのですが
社会人になってからもそれは例外ではなく、
早番遅番、さらには夜勤まであるそのシフトにすぐに体が悲鳴をあげました。
入社して3か月が経った頃、39度ほどまで発熱しお仕事をお休みしました。
一日だけでも休んでしまった罪悪感は相当なものでしたから
連続してお休みしたい、なんて言えるわけもなく
無理をして次の日から出勤。
しかし、のどがやられてしまい1週間ほど声が出ない生活を強いられました。
同期のみんなや優しくしてくださっていた先輩方は
「無理しないで。」
と心配してくださり、業務中も助け舟を出してくれたりしましたが・・・
女社会。
お局という存在がどこにでもいるものです。
私が声が出ないということを知りながら、必ず無線を飛ばして
逐一報告をしなければならない業務をわざわざアサインしてきたのです。。
心の中では
(え・・・?私声でないんだけど・・・)
と思いながらも行くしかありません。
かすかすの声で必死になって無線を飛ばしました。
今考えてもなかなかに鬼です!(笑)
きっと彼女はまだ、あの席で足を組んで新人いびりを
楽しんでいるんだろうなと思います。
何が楽しいんだろう・・・。
その頃から同時にお酒にはまってしまう時期がやってきました。
地元の超仲良しのお友達も大学進学を機に上京していたため、
私のお休みのたびに、夜の渋谷や新宿、新橋なんかに繰り出していました。
もちろん毎回朝帰りです。
遊びすぎだよ、私・・・
でもそうでもしないと乗り越えられないと思っていたんですよね。
抱きしめてやりたい!!!!
本気で転職を考えるようになり、複数の転職サイトに登録。
私はそのとき初めて、世の中の労働条件や様々な業種・職種について
知ることが出来ました。
同時にやっと無知を自覚しました。悔しかったなあ。
入社して約1年半、転職サイトを見ながら、お酒に溺れながら、
ショッピング中毒になりながら、ボロボロの心体で激務をこなしました。
コロナ禍に突入したころの私は、多分半分鬱状態だったんじゃないかと思います。
気がついたら実家におりました。
地元の空港でまた働き始めるまで、1か月ほど時間を要し
毎晩意味もなくあふれてくる涙に困惑し、
日中はぼーっと自宅で過ごし、飼っているわんことにゃんこに癒される日々。
そんな毎日が必要なほど虚無な私でした。
そうして私の憧れ東京ライフは、あっという間に幕を閉じました。
東京は愛せど何もないー
短大時代
みなさま今日もお仕事お疲れまでした!
私は最近、新しいポジションの研修が始まったばかりで
毎日微緊張しながら、お仕事柄目と頭を酷使しております。。
おうちに帰ってきて飲むホットコーヒーに癒されながら
このブログに向き合う時間が平日の少ない楽しみです。
というわけで今日は短期大学時代のお話です!
前回のブログにも書かせていただきましたが
私にとって“逃げ道”として選んだ短期大学進学。
もちろん当時は将来の夢に向けた最短ルートだから
と、もっともらしい理由をつけてそれを自分自身にも言い聞かせていました。
ただ、一つだけ魅力的だと感じていたのが認定留学制度。
半年間という短い時間でありながら、現地にてある程度の成績を修めることができれば
それを短大の単位として認めてもえらえるため、
留年せずに2年間でストレート卒業が可能になるという制度です。
そもそも中学生の頃から
「大学生になったら絶対留学する!!!」
と言い放っておりましたので
支えてくれた両親も、あ、はいはい行くんでしょ、いいよいいよ
と快諾してくれました!
ほんと親って偉大です。
留学先として、カナダかオーストラリアのどちらかを選択でき
私は迷わずカナダを選択しました。
理由は、かなりお勉強量がヤバイと噂の語学学校だったから。
そしてシンプルにアメリカ英語のようなアクセントに憧れていたから。
それまで一度も海外旅行なんてしたことのなかった18歳ド田舎育ちが
満を持して羽田空港から異国の地へ旅立ったのでした。
現地での生活は、何もかもが新鮮でした。
新しい土地、空気、街並み、人々、文化、におい、温度感、日差し、言語・・・
それらを私の心と体すべてでめいっぱい吸収することに必死で
ホームシックになる余裕はありませんでした(笑)
ただ、定期的に日本語や活字に触れたくなることがあり
電子書籍を買ったりNHKニュースを見ちゃったりなんかはしてたかな。
毎日の個人的な日記ですら頑張って英語で書いてましたから!
語学学校でのお勉強は、噂で聞いていた通りめちゃめちゃ大変でした。
現地大学への編入を目指すカレッジに付属している語学学校だったので
授業内容が何ともアカデミック!
まずレベル分けテストを受けてクラスを振り分けられ
そのクラスで7週間授業を受けます。
途中に課されるプレゼンテーションやエッセイの提出、
そして最後に行われるリーディング・リスニングに合格できれば
次のレベルのセッションへ進めるという仕組みでした。
当時英語が少しできるつもりでいた私ですが
レベル1~7のうち、なんとレベル3からのスタート。
入国してレベル分けテストを受ける1週間ほどの間で
自らの英語力の無さには痛いほど気づかされていたので
レベル3からでも思っていたより良い方だと感じました。
そこから無事3セッション、レベル5まで終えるのですが
いや~すさまじい勉強量でした。
え?これ土日分の課題でしょ?っていう量のリーディングの問題だけではなく
オンラインでのリスニング問題3つ、そして担任の先生との交換日記的なやつ・・・
それが平日1日分の宿題でした。
土日なんて遊びに行けたもんじゃありません。
ほとんど土日は学校の図書館にこもり、辞書を引きながら問題に向き合うこと6時間
なんてざらでした。。
特に私が苦手だったのがプレゼンテーションやエッセイ。
プレゼンテーションは、与えられたテーマについて個人だったりグループだったりで
調べ学習を行い、資料を作成しクラスでの発表に向けた準備を行わなければなりませんでした。
エッセイは特にレベル5がめちゃめちゃ大変で、
それまでの2セッションで学んだ基本的な書き方(アカデミックライティング)はもちろんのこと
使用する単語のアップデートや、結論と理由が強く結びついていることなんかも
必ず求められました!
こうなってくると、よく現地で見かけた留学という名の遊びに来ただけの学生ノリでは
絶対に乗り越えられません・・・
もちろんたまには観光に行ったり現地の友達とおでかけしたりもしましたが
蘇ってくるのは図書館とか、カフェとか、ホームステイ先の自室とか。
よく頑張ったな自分と、この時だけは褒めてやりたいです。
加えて私は、どうしても帰国後のTOEICスキルを伸ばしたかったので
クリスマス休みとなる12月の最後の2週間も
語学学校とはまた違う、日本人が運営する日本人のためのTOEICスクールに
一時的に入学しました。
多分休んだのは31日と1日くらいだったかな?
それ以外は朝から夕方まで授業を受け、夜はカフェや自室でお勉強。
留学前495点しかなかったスコアは・・・・
なんと帰国後860点まで上昇しました!!!!
私の数少ない人生成功体験です。
もちろん、語学はしっかり伸ばすことができたと感じていますが
やっぱり価値観とか凝り固まっていた思考とか
そういうものへの刺激を多く受け取ることができたと思います。
留学に行かれたみなさん、こういうことをおっしゃると思いますが
私も事実そう感じています。
同じセッションを受講していたクラスメイトは、
ブラジル、サウジアラビア、中国、韓国、ロシア出身などなど
そして何より年齢が幅広いのです。
50代の男性なんかもいらっしゃいました。
何歳になっても人生勉強。
むしろいくつになっても勉強ができるんだ。
そう思えるようになったことが、今の私の原動力になっているような気がします。
そして帰国!
帰ってきてからは正直就活のことしか覚えていません。
あれだけ憧れてすべてを捧げてきた職を得るべく、
日本全国を飛び回りました。英語できます、という自信だけを連れて。
結果として第一志望の会社から内定をいただくことができました。
泣いて喜び、泣いて両親や友達にも報告し、すべてが報われたと思っていました。
頑張ってきてよかったと!
ただ、今の私から言わせていただけるのなら
あなたが思うよりもあなたは無知だよ。
ということです。
視野が狭すぎたのです。
就職活動をするにあたり、その憧れていた業界だけではなく
どんな求人がどのような応募条件で出されているのか
お給料や福利厚生はどうなのか、休日は・・・・
きっとそこもちゃんと確認できていれば
大学編入や資格取得等も検討できていたのではと思います。
こういうところって、変に夢がない学生の方がしっかり向き合ってるのでは?
なんて思っちゃいます。
今こう思えるから、私も少しは成長しているのかな(笑)
最終的に夢を叶える最短ルートとして入学した目標は達成。
でも、留学と就活以外は特に何の記憶もない学生生活。
20歳になり形式的には大人になった私なのでした。
その後いよいよ、憧れの東京!憧れのお仕事!キラキラライフ!
のはずでしたが・・・?
高校時代
こんにちは。
昨日のブログであれだけ自分の過去を話したにも関わらず、
まだまだ詳しく知っていただきたいと何とも欲深い私です。
ということで、しばらくは私のこれまでを少し細かく区切って
お伝えしてみようと思います。
目的は、私自身のダークな過去を公開することで自分への戒めになれ!!
ということと
親近感をみなさまに感じていただきたい
ということと
もし10代や20代前半の女の子が今後見てくれるようなことがあれば
反面教師になればいいな、と。。。
さあ!始めます!
高校時代ー
思い出すのは、ぶくぶく太っていったこととお勉強に関する複雑な感情です。
太ったことに関しては何の弁明の余地もないので
あえて触れずにおきます。ただの過去の事実として。
華のJKというものの、
多分入学して5~7kgぐらい太ったんじゃなかろうか。
もったいないな、、
他方、お勉強に関してですが・・・・
今となっては何故かわかりませんが、私は学年において優秀キャラだったのです。
ド田舎の公立高校で、そもそものレベルが高くないのは言うまでもないですが
英語がほんの少し人より好きで、少しできるだけで
進学組のトップ層のような扱いをされていました。
でも本当のところは、理系科目なんて壊滅的で
数学においては定期テストですら50点取れていなかったときもあった気がします。
加えて、暗記すればいいだけの生物や化学基礎なんかもボロボロでした。
さらに!!
文系を装っていますが、読解力がございません。
国語では、漢文や古文ができても、現代文はチンプンカンプン。
さすがにそれだけはやばいと思って
高3に進級するタイミングで、国語の先生に毎日1題ずつ個別で課題を出してもらい
添削をしてもらっていました。
なんてありがたいことだ・・・
こんな感じの偽優等生だった私は、実際苦しんでいたものです。
理想と現実のギャップに!
周りからの期待とプレッシャーを勝手に感じて
それで焦って勉強するならまだいいものの、
自分自身を過信したり遊びや恋愛に現を抜かしてみたり・・・
「moco頭いいから大丈夫でしょ~。」
「今回の模試の偏差値どうだった!?判定は!?」
「mocoはちゃんと勉強してるからほんとえらいよね!」
そんな言葉の数々がどれだけ自分に突き刺さっていたか。
いや、そう思うなら勉強しなさいよ。
後の祭りですね。
ただ、英語の偏差値だけはいつも50後半くらいはあって
高い時だと多分65とか取れてたんじゃないかな?
だから調子に乗って、高1のときには進路希望の紙にでかでかと
なんて書いてみたものです。
無知って一番恐ろしい!
ただ、そんな私にも当時の恩師が存在します。
忘れられないあのインパクト。
まだ入学して間もない頃、英語の授業をしているはずの
隣のクラスから聞こえてきた、とんでもなく恐ろしい怒号!
「○○(ある不真面目男子生徒の名)、お前調子乗んな!」
的な感じだったと思います。
多分今やっちゃうとやばいやつかな?(笑)
私のクラスも、そして授業をしていた先生も凍り付くほどの怒号でした。
”英語の○○先生、やばいよ。“
その日を境に先生の噂は全校に広がり
隣のクラスの英語の時間は魔の時間と呼ばれるようになりました。
ただその先生、
実際に授業を受けてみると、まあ~~~わかりやすいんです!
文の構造とか英文の読み方とか試験の時間配分とか、
理にかなっていて(上から目線ですみません、、)心の底から理解、納得できるんです。
あの感動はひとしおだったなあ。
進学先を英語系の学科で考えていた私は、当時の担任に連れらて
その悪魔先生に弟子入りしたのでした。
多分高1の秋くらいだったかな?
それから高3まで毎日、
悪魔先生による大学入試レベルの英文和訳の添削を受け続けました。
今でも覚えているのですが、最初に出した和訳のページは
赤で全消しされて、すさまじいコメントとわかりやすい解説で埋め尽くされて
返ってきました。
衝撃的だったな(笑)
そんなこんなで本格的に受験生になるわけですが
先ほどお伝えしたように、自宅でしっかり勉強していなかった私は
どんどん疲れてきてしまうのです。
もう英語やりたくない、勉強したくない。
スマホさわってダラダラしたい、遊びたい、寝たい・・・・
結果、私は妥協しました。
それもセンター試験の2週間ほど前に。
11月にすでに合格通知をもらっていた
短期大学英語科の特待生として進学する道を選んだのです。
アホです。アホの極みです。
楽をしたいがために人生を棒に振るなんて。
なんと国語は9割、英語は7割程取れてしまって
受験後の面談で担任の先生に本当に受験しなくてもいいのか
何度も聞かれたような気がします。
もちろん、
はい。
の一つ返事でした。
どこまでもアホです。
今思えばここら辺から何か大きな勘違いをしてしまっていたんじゃないか
そう思います。
いや~若気の至りなんて言葉じゃ片付きませんね。
私の高校時代はざっとこんなもんです。
今の高校生に伝えるとするならば
難しいかもしれないけど、高校時代を楽しむこととお勉強を両立させることで
あとで絶対後悔しない、そして何か心の支えとなる高校時代になると思います。
まあぶっちゃけ高校時代は死ぬほど勉強して
良い大学に入ってから、イケメンや美女に囲まれた環境で
自分磨きを頑張りながら世間というものを知りながら
死ぬほど楽しむのが一番いい気がするんだけど・・・
でも高校時代にしかできないこともありますしね!
そこは個人の裁量にお任せしましょう!
ああ、やり直すなら高1からだな
はじめまして
みなさまはじめまして!
mocoと申します。
すでにブログのタイトルなどで一体私が何者なのか
だいたい推測はできてしまうかと思いますが、詳しく自己紹介させてください。
私は遠く九州の果てで生まれ育ち、短大卒業後長年憧れていた大都会東京へやってきた、いわゆる上京組です。
憧れの地で憧れの職の内定を勝ち取り、キラキラした生活がいよいよ始まるんだ!
と、ここまでは良かったのですが・・・
20歳そこそこの常識知らずの芋女(いもじょ)は、夢だったお仕事の理想と現実のギャップに悩まされ、そのストレスをショッピングと夜遊びで解消しようとし本来追い求めていたような生活とは真逆の方へ進んでいったのでした。。
今考えても当時は本当に堕ちるところまで堕ちてたんだな、ハハッ
様々な面でひとりでは抱えきれなくなってしまった私は、一度地元に戻り実家で休憩する道を選びました。
上京時には思ってもみなかったUターンです。絶対にするものか、と思っていたはずなのに。
しかし、実家での日々は驚くほどに私を更生させてくれました。
約一年半でしたが、都内にいたころと同職種のお仕事もできていましたし
何より素の自分自身と向き合う時間が多くなりました。
暴飲暴食の末パンパンになっていた体をゆっくり5㎏落とすことが出来ました。
毎日日記をつける余裕もできました。
飼い犬と海に出かけたりお花屋さんでお花を選ぶ楽しみもできました。
そんな時間にもお金にも心にも余裕のある毎日。
でもやっぱりどこかで、
このままじゃいけない
甘えていてはいけない
もう一度チャレンジしてみたくないのか
そういう風に思う自分がいました。
どこまでも変化を好む人間だな自分は・・・
というわけで気がつけば、現在、またここにおります。
前と違うことといえば、少しだけ痩せた体と(それでもまだまだデブ)
少し成長した私の中身、思考、価値観です。
ここに戻ってきてスタートした新しい毎日。
憧れていた東京ライフとは全くかけ離れているけれど、
それでもまだ何か自分にやれることはないか、
楽しめることはないか、考えた結果たどり着いたのがこのブログです。
口下手だし美人さんでもないからYoutubeやInstagramなんかはできないけれど
文章を書くのは昔から割と好きだったなと思います。
なのでブログです。
どなたか一人にでも見つけてもらって、
何この人?(笑)
なんて思ってもらえれば本望です。
以上、自己紹介といいながらそうでもないような手始めのブログでした!
よろしくお願いいたします。