都内勤務ギリギリOLの日常

憧れの大都市TOKYOでド田舎育ちの芋女が奮闘するそんな毎日

新社会人時代

 

 

晴れて20歳で憧れの職に就いた私。

 

ぶっちゃけてしまうと、私は某航空会社のグランドスタッフでした。

 

まだまだ知らない方もいらっしゃるかと思うのでご説明しますと、

 

空港のチェックインカウンターやラウンジ、

 

搭乗口などにいるスタッフのことです。

 

そうです、髪をぴっちりまとめて首にスカーフを巻いているあのお仕事です。

 

小さい頃一人旅をサポートしていただいた経験をきっかけに

 

将来の夢として絶対叶えるべく、全力を尽くしてきました。

 

 

だからこそメディアでみた”あの入社式”や”あの制服”、英語を駆使しながら

 

空港中を駆け回る”あの姿”に、当時はときめきが止まらなかったものです。

 

覚えなくてはいけない大量の知識や部活動のような上下関係には苦戦しましたが

 

それでも初めのうちはやりがいを感じて毎日を過ごしておりました。

 

ちなみに配属先は希望通りの国際線です。

 

 

 

 

ですが、すぐにそんな気持ちは消えてなくなります。

 

初心を忘れないって本当に難しいことです。

 

昔から生活リズムが変則的になってしまうと、すぐに体調を崩すタイプだったのですが

 

社会人になってからもそれは例外ではなく、

 

早番遅番、さらには夜勤まであるそのシフトにすぐに体が悲鳴をあげました。

 

入社して3か月が経った頃、39度ほどまで発熱しお仕事をお休みしました。

 

一日だけでも休んでしまった罪悪感は相当なものでしたから

 

連続してお休みしたい、なんて言えるわけもなく

 

無理をして次の日から出勤。

 

しかし、のどがやられてしまい1週間ほど声が出ない生活を強いられました。

 

同期のみんなや優しくしてくださっていた先輩方は

 

「無理しないで。」

 

と心配してくださり、業務中も助け舟を出してくれたりしましたが・・・

 

 

女社会。

 

 

お局という存在がどこにでもいるものです。

 

 

私が声が出ないということを知りながら、必ず無線を飛ばして

 

逐一報告をしなければならない業務をわざわざアサインしてきたのです。。

 

心の中では

 

(え・・・?私声でないんだけど・・・)

 

と思いながらも行くしかありません。

 

かすかすの声で必死になって無線を飛ばしました。

 

今考えてもなかなかに鬼です!(笑)

 

 

 

きっと彼女はまだ、あの席で足を組んで新人いびりを

 

楽しんでいるんだろうなと思います。

 

何が楽しいんだろう・・・。

 

 

 

その頃から同時にお酒にはまってしまう時期がやってきました。

 

地元の超仲良しのお友達も大学進学を機に上京していたため、

 

私のお休みのたびに、夜の渋谷や新宿、新橋なんかに繰り出していました。

 

もちろん毎回朝帰りです。

 

 

 

遊びすぎだよ、私・・・

 

でもそうでもしないと乗り越えられないと思っていたんですよね。

 

抱きしめてやりたい!!!!

 

 

 

本気で転職を考えるようになり、複数の転職サイトに登録。

 

私はそのとき初めて、世の中の労働条件や様々な業種・職種について

 

知ることが出来ました。

 

同時にやっと無知を自覚しました。悔しかったなあ。

 

 

 

 

 

入社して約1年半、転職サイトを見ながら、お酒に溺れながら、

 

ショッピング中毒になりながら、ボロボロの心体で激務をこなしました。

 

コロナ禍に突入したころの私は、多分半分鬱状態だったんじゃないかと思います。

 

 

気がついたら実家におりました。

 

 

地元の空港でまた働き始めるまで、1か月ほど時間を要し

 

毎晩意味もなくあふれてくる涙に困惑し、

 

日中はぼーっと自宅で過ごし、飼っているわんことにゃんこに癒される日々。

 

そんな毎日が必要なほど虚無な私でした。

 

 

 

 

そうして私の憧れ東京ライフは、あっという間に幕を閉じました。

 

 

 

 

東京は愛せど何もないー